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イデオロギーと理屈

イスラム国と名乗るかの暴力集団の蛮行に苦々しい想いの方も多いと思うが、
政府の対応も評価が分かれている。
身代金の支払いは応じられねい、他国の主権は冒せない、実力行使する
部隊も法整備もない中で何ができたのか。
それでも政府を批判なさる方は一定数いらっしゃる。対応が人命第一ではない、
そもそもテロ国家はアメリカでそれに迎合している政府の責任だという。
集団的自衛権や特定秘密保護のなれの果てがこのザマだと言う訳である。

私にはどうも理屈が通っているように思えない。
体制に抵抗するというのが主たる目的イデオロギーであって、各論なんかどうでも
良いような印象しかない。

とある殺人事件(当時少年)の死刑判決に死刑反対の弁護士が大挙大弁護団を作り
ドラえもんだ蝶蝶結びだと突拍子もない弁護で死刑の反対を盛大にぶちあげた、
あれに似ていると思うのだ。自分たちの主張を世に問うのが目的で容疑者の利益が
置き去りである。事件の酷さゆえ、助けられなくても世間の批判も良心の呵責も
軽くて済む。

邪悪な暴力に対して善良な一個人はいかにも無力である。それは国としても
実力行使を自らに厳しく禁じている日本国の民はなおさらだ。
つまりは暴力集団に日本人は誘拐しても使い道が無いと解らせるしかない。

加えて苦い話をすればその場に犠牲になった人らの評価も別れざるを得ない。
何が起きても全ての責任は自分にあると言い残した上での後藤氏の行動を
批判する気には私はなれないし、その言葉で自らの名誉を守りきったと考える。

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.02 2015 ぼやき comment0 trackback(-)
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